毒舌ころも

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Jアラートが鳴ったら愛する人に「愛してる」と言おう

 

 

ころもです。

 

明日は10月10日。
もしかしたら、早朝にJアラートが鳴るかもしれない。

 

Jアラートなんて何の役にも立たない。
たった4分間で何ができるんだ、馬鹿にして。

 

そういう声もある。

でも、頑丈な建物や地下鉄に逃げ惑うだけが4分間の使い方じゃない。4分間で何ができるんだ!と文句をいう合間に、やれることを全力で考えたい。

 

誰に文句を言っても自由だけれど、それで後悔するのは紛れもなく自分。

死ぬ事以上に怖いことは、その死に「納得がいかない」こと、さらに言えば、「何の建設的な努力もしなかった」ことへの後悔だから。

 たった4分、されど4分

明日、10日。

北朝鮮は労働党創建日を迎える。

トランプ大統領は対北朝鮮で有効な手段は

 

「申し訳ないが一つしかない」

 

と発言。

 

北朝鮮が記念日に合わせて核実験やミサイル発射を行ってきたことを考えれば、明日の朝にJアラートが鳴る可能性は大きい。

 

不可抗力という言葉がこれほど身に迫ったことはないほど逃げ場のない状況ではあるけれど、無策位で貴重すぎる4分間を失いたくはない。

 

何もなければそれでよし。

 

けれども‥‥

 

有事を想定して”そのとき何ができるか”を考えておくことは、仮に何も起こらなかったとしても決して無駄にはならないし、何か起きたときにはそれを実行できる。

 

4分で命は助からなくても…心は伝えられる

ここまで緊迫してきている以上、遅かれ早かれJアラートは鳴る。

 

ミサイル発射、その発表からわずか4分。

 

こんなわずかな時間じゃ何もできないじゃないか!

 

先月末にもそんな声があがったけれど、わずかな時間しかないということはもうとうに知れ渡っている事実なのに、なぜ何もできなかったことを声高にいうのだろう。

 

確かにどこに落ちるかわからないミサイルから逃れるためには4分間はあまりに刹那すぎる、一瞬すぎる。

 

でも‥‥

 

本気でその4分間を有効に使おうと思うなら、まだまだやれることはある。たとえ最後は命尽きることになるとしても、シェルターもなく地下鉄にも行けず、堅牢な建物に逃げ込むことができなくても、その4分間へ向けての準備が全くできないということはない。

 

4分間。

 

着替えることもできる、髪をとかすこともできる、歯を磨くこともできるし、用意しておいた朝食をわずかでも口にすることができる。

愛犬を抱きかかえて風呂場に逃げ込むこともできるし、テレビをつけて情報を得ることもできる。

 

準備しておいたヘルメットや防護服、防護マスクに怪我をふせぐシューズ。人によってはそんなものに着替えることだって急げばできる。

 

そして究極は、それら一切ができない状況にあったとしても、人によっては祈ることもできる。

 

愛する人の無事を祈り、守りたい者をリラックスさせる言葉のひとつもかけられるかもしれない。

 

家族全員に声をかけ、ひとつの部屋で抱き合ってその時を待つこともできる。熱い湯がすでに準備されているのなら、少し固めのカップヌードルだって作って食べられるかもしれない。

 

なにより、愛する人に「愛してる」と言える。

 

それすら許されない無念の「死」というものがこの世にはいくらでもある。

 

これからミサイルが飛んできますよ、もしかしたら、何かの手違いで日本に、あなたの頭上に落ちてしまうかもしれませんよ。

 

怖いけれども、逃げ場所なんてどこにもなかったりするけれども、大事な人に感謝の言葉を伝えるには十分な時間でもある。

 

どうせ逃げ場がないからと政府に愚痴っていても4分。

愛する人に「ありがとう」「愛している」と言葉をかけることのできるこの「4分」という時間を、ころもは決して無駄な時間だとは思わない。

 

やれることをやる。

 

いずれ必ず消える命だとしても、一人一人が「想い」という武器を無駄にして欲しくはない。

 

Jアラートの存在は、決して無駄じゃない。