毒舌ころも

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麻耶と海老蔵の当然の同居解消が「別離」と表現される理由

 

 

ころもです。

 

李下に冠を整さず。

政治家はよくこの言葉を「戒め」として使いますね。

 

これは「誤解を招くような行動はすべきではないといういましめ」のことわざですが、まさしく小林麻耶さんと市川海老蔵さんの二人をさしているよう。

 

先日「女性セブン」が

海老蔵 男のけじめ!麻耶ママとの「別れの朝」

という記事を掲載して話題になりましたが、そもそも「男のけじめ」や「麻耶ママ」や「別れ」といった言葉のすべてが亡くなった妻、麻央さんを侮辱するものばかり。

 

それは「父親のけじめ」でいいし「麻耶おばさん」だし、「同居解消」であって、別れなどという次元の話じゃ本来ないはず。

でも、女性セブンに他意があればその限りじゃないけれど‥‥。

 そもそも、未だに交流が激しいようですが

麻央さん逝去から3ヶ月近く経つのに、子供達の送迎よろしく親子ともども亡くなった妹の旦那に依存し高級マンション暮らしを継続。

果てはディズニーランドやハワイ、温泉と享楽の日々をブログで見せつけていたのだから世間がバッシングするのも当たり前。

世界中に麻央さんの存在、闘病をブログで示したということは、悲しみも自分たち遺族だけではとどまらないことは容易に想像できることなのに傍若無人な言動の数々。

 

さすがにこれではまずいと思ったのか、不謹慎同居への批判がピークに近くなった頃合いに出された女性セブンの、冒頭タイトルの記事。

 

そもそも、当然の同居解消が週刊誌の記事にピックアップされること自体がおかしな話なのに、そのタイトルが「男のけじめ」に「別れの朝」ときたものだから、否定するつもりがむしろ

 

やっぱり男と女の関係があったのか
別れという言葉を使うということは、付き合いがあったということか

 

と邪推させるだけの結果になっているのだから面白い。

 

こんな簡単なミスを週刊誌がおかすとも思えないので深読みすれば、さあ、あなた方が考えたとおりですよ、思う存分叩いて下さいと言わんばかりの女性セブンからの挑戦状のように取れなくもない。

 

確信犯的な匂いを感じます。

 

疑問を持っていなかった人にも疑問を持たせる結果に

 

それが証拠に、この記事が多くの人の目に触れる週刊誌に掲載されたことによって、

「えっ!この二人付き合ってたの!?」

と、麻央さん逝去後も義弟のマンションで暮らし続けている親子の神経や意図に改めて寒気を感じた人たちもいたわけです。

 

だとすれば、週刊誌の狙いは二人は怪しくありませんよという”疑惑の払拭”というよりはむしろ”疑惑の提唱”という見方のほうが色濃くなっていく。

 

実際、同居解消は世間へのポーズでしかないのでは?

 

荷物を右に左に移動する物理的な引っ越しの真偽はともかく、未だに子供たちの幼稚園の送迎をしていることを麻耶さんは隠さずブログでアピールしているし、海老蔵さんも幼子二人を家において山田純大さんと好き勝手に外出している。

 

いったい誰が、その不在中に子供たちの面倒を見ているのか。

完全別居なら、なぜ麻央さんの実家で飼っていた愛犬の「ゆめちゃん」がまだ海老蔵さん宅にいるのか。すでに新しい子犬を購入しているのだから、ゆめちゃんが絶対残らなくてはいけない理由だってないはずなのに。

 

いろいろと矛盾が生じてきています。

 

それは未だに麻耶さん、そして麻耶さんのお母さんが大きく関与していると邪推されるわけです。そう思わせるために、そこをアピールしたいからこそ麻耶さんも書かずにいればいいものを、あえて自身のブログに子供たちとの絡みを入れてくるわけでしょう。

 

もちろん、麻耶さんにとっては姪っ子甥っ子、麻耶さん母にしてみれば孫ですから接触することは何も悪いことじゃないです、ただし、それが通いなら。

 

同居をするからおかしな話になるわけで、離れているなら極端な話それが隣のマンションだって最悪ましです。

 

同じ屋根の下に暮らす、暮らそうとする、暮らし続ける、暮らすことを許す。

 

麻央さんの愛する家族、麻央さんがいた場所を根こそぎ奪うようなその背徳行為を世間は見過ごせないでいることを、なぜわからなかったのか。

 

義理の姉と弟という通常の解釈からすれば、堀越家からの引っ越しはあくまでもただの「同居解消」と呼ばれるものなのに、麻耶さんが海老蔵さんのマンションから引っ越す行為が「別離」と言われてしまうのは、読者が想像するとおりのことを世間を代弁しているつもりの週刊誌が誰より疑っていたということにもなるわけで、その疑惑を改めてテーブルにのせ告発したも同然です。

 

「男のけじめ」じゃなく「人としてのけじめ」で十分。

 

麻耶さんも『スカッとジャパン』で動く麻耶さんとブログの静止画像ではだいぶ顔が違いますね。

 

修正のきかないテレビで観る麻耶さんは思った以上に目の周りなども老けた印象なのに、ブログの自撮り写真では目の大きさも目頭切開しましたか?といった感じにぱっと見開いて、全体的に妹に寄せたメイクに切り替えているように思えます。

 

可愛いのだから可愛がって何が悪い、という自分本位の可愛さじゃなく、もっと長いスパンでの愛情のかけかた、接し方ということが麻耶さんにできるといいですね。

 

それは妹の家庭に自分の人生をはめ込んで一本の道にすることじゃなく、並行して走る道でいいのじゃないですか。

 

伯母の存在とは、良くも悪くもそこまででいいはず。良かれと思って、という言葉ほどタチの悪い言葉もないと何かで読んだこともあります。

 

善意を断ることは難しいのですよ。悪意で近寄る人間のことは無慈悲に「出て行け」と言えても、善意で近寄ってくる人間にそうはなかなか言えない。

 

海老蔵さんも麻央さんを誰よりも愛している風を出しながら、その姉にも似たような言動をもし行っているなら、それは麻央さんへの明らかな裏切り行為ですよ。

 

パパママやるといった以上、必要なママ部分で物理的に解消できる部分はお金を払ってシッターさんに頼んだほうがいいです。

 

精神的な孤独や寂しさを埋める存在として「麻耶さんが不可欠」なわけがないのだから。

 

人は孤独や寂しさをみな抱えて生きているのだし、身内の死を経験していない人などいないに等しいのだから、家族が一人欠けるたびに新しい家族を増やしていったら子供たちが混乱するだけ。そして勘違いするだけ。

 

麻央さんがいない。

 

その悲しみや世の不条理を受け止めていくことでしか大人になれないです。みなそうして大人になっているのだから、悲しみをいっときの慰みでどうにかしようとせず、親子三人、というか、経済的にも不自由がないのだし、いくらでも手助けしてくれる大人はいるのだから、要らぬ噂でこれ以上故人をみじめな思いにさせないで下さい。

 

麻央さんへの愛を100回語るより、一回の幼稚園送迎を自らやるか、紛らわしい伯母さんにじゃなく、事務的に、けれども人としての愛情のあるシッターさんにお願いすればいいだけのこと。

 

そんなことを、女性セブンの不可解な記事タイトルから考えたころもでした。

 

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