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石原真理子「誤解されちゃった」万引き釈明も所持金3千円の悲哀

 

 

 

ころもです。

 

石原真理子さんの万引き疑惑事件、もう遠い昔のようです。

栄枯盛衰、登った山を降りる時が誰にもくるものですが、石原さんが辿っている下山の道はなかなかに険しいもののよう。

事実はひとつなのに、記事が増えるたびに情報があちこち変わって伝わってくるのも今回の万引き疑惑の特徴ですね。

まず、スーパーなのかコンビニなのか。

迷っていただけなのか、本当に万引きしたのか。

彼女の83歳になる母親は今なお娘の言葉を信じているのでしょうか。それとも、信じることにしたのでしょうか。

 

過去を守りたい女優、過去を信じたい母

万引き現場に立ち会っていたわけではないので、事実がどうであったのかは正直わからないです。

 

よく「真実はひとつ」といわれるけれど、それは違う。事実はひとつだけれども、真実は人の数だけある。

信じたいことを信じる、これが人間というもの。

そして、信じたいことはいつしか時間を重ねていくうちにその人の中での「事実」として記憶されることもままあるから厄介なのです。

 

ぷっつん女優と言われながらも、やはり若き時代の石原真理子さんの破滅的な危うさ、美しさというものは確かにありました。

日本の至宝といっていい歌手、玉置浩二さんとの決して結ばれない恋などは、彼女にとって今となっては勲章のようなものかもしれません。

 

それほどに、今回の「お弁当とペットボトルのお茶」万引き疑惑事件は切ないものとして受け止められましたね。

 

 「本人がそう言っていますから」訴える母の悲哀

何が悲しいって、女性自身の8/15号の記事を読む限り、母親は娘である石原真理子さんから聞いた話だけを信じて反論しているということ。

 

現実世界では生身の石原さんが墨田区内のスーパーでレジを通らず弁当とペットボトルを手にしたまま、レジを通らず外に出ようとした、という事実があるわけです。

捜査関係者の話によれば、店員に通報された時に所持金はさ3千円しかなかったことも明らかに。これは、接触のない人間たちがわかる内容ではないです。

では、なんで接触されたか。

 

「誤解されちゃった」

 

母親と姉に電話でそう弁明した石原さんですが、誤解というような曖昧さで万引き犯を検挙はしないです。

本人は、買うかどうか迷っていたら、(商品を)どこかに入れたとかそういうことではないのに、万引きと思われたと電話で母親と姉に説明したようですね。

 

「‥‥中略、娘が怒ったら、店員は『すいませんでした』って謝ったんですって。警察も”なーんだ、そういうことか”って、そのまま帰ったそうですよ」

(引用元:女性自身8/15号)週刊誌記事の中で母親はそう語っています。

もちろん、すべて万引きしたと言われる娘からの話です。警察からでも、客観的な週刊誌記事からでもありません。

 

とにかく客観性がないのです。

その証拠に本人が万引きを認めた事実を母親に伝えても、

 

「まさか!そんなことありえないと思うけど、本人がそう言っていますから。めんどくさくなって言ったんじゃない?店員にワーワー言われてさ。警官も『人を疑うのはよくない』って言って帰っていったそうですよ」

 

徹頭徹尾、娘からの言葉しか信じない、信じたくない、母親の盲目、無知無理解が露呈する発言をしています。

 

おまえやっただろ! いえ、やっていません。

やってないってよ、だからやってないんだ、シロだ。はい、終わり。

 

警察も裁判官も不要です。家族が信じたいのは当然だし、それは仕方ない。でも、家族の誰かがある日万引きをしてしまうかもしれない可能性というのは決してゼロではないし、ありえないことではないです。

 

あってはならないし、あって欲しくはないけれども、「ありえない」ことではない。

 

その辺の冷静さと慎重さを持っていれば、決してこんな盲目的な愛情で娘をかばうだけのコメントはできないはずなのですが、この親にして‥‥という批判は免れそうもありませんね。

それにしても、あの石原真理子さんが所持金3千円。そのお金が減ることが惜しかったのか、単なる出来心だったのか、いずれにしろ現実的すぎる金額がかえって0円の財布より物悲しく感じるのはころもだけでしょうか。

 

過去の娘の栄華にすがりたいのか母親は娘の現在の収入について訊かれると、

「ああ、本を書いているんですよ。エッセイ書いたり、いろいろ。また出ると思いますけど。いつかはわかりません」

また出るというのは、『ふぞろいな秘密』自伝出版に続いてということなのでしょうか。

記事では、日本の書店のどこを探しても彼女の本は並んでないと言っています。これもおそらくは娘本人からの言葉を鵜呑みにしているふしがありますね。

 

確かにいろいろ書いているのかもしれませんが、それは「ブログ」のことなのじゃないでしょうか。そういう意味では確かに書いてはいるのだといえそうですが、本を書いているというのとはだいぶ違うことを伝えたところで意味はないかもしれません。

 

最初に伝えたように、事実は一つでも真実は人の数だけあるということ。そして、人は信じたいものを信じる、それを真実とし、時間をかけて事実にして上書きしてしまう能力が備わっているからです。

 

母にとっての真実は、一斉を風靡した美しい娘の姿。

それなんだと思います。

 

「‥‥中略、とにかく、今回のことはまったく”ない”ことですから。逆にスーパーを訴えてやろうかなと思ってますよ」

 (引用元:女性自身8/15号)

記事の最後で母親はそう語っていました。

 

とうとう、今回の万引き事件は世間が作り出した 絵空事 ということで、まったく事実無根、存在さえしない出来事にされてしまったようです。

 

確かに、そんな風に都合の悪いことを「なかったこと」にできたらどんなに世の中生きやすいでしょう。

 

でもそんな教えを自分の母親がしてきたなら、子供である自分は母親を軽蔑します。

お母さんもきっと、本当のところはわかっているのでしょう。

何が本当のことなのか、何を自分が守ろうとしているのかも。

 

もしそうじゃない、本当に娘が冤罪だと疑わないのだったら、それこそ現実としてスーパーを訴えればいいのです。

ただ、それだけのことです。