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小林麻央を美談にしすぎて違和感満載!?非難すると非国民扱いか

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ころもです。

 

滑稽としかいいようのない展開になってきました。

小林麻央さんはこのままだと「天女」か「人魚姫」だったということで歴史に名を残しそうな勢いです。

終わりよければすべてよし。

ということでしょうか。

何から何まで美談に仕上げて、これまで純粋に応援していた、あるいは喪に服していた人たちでさえ「あれ?何かおかしくないか」と我に返りはじめています。

 本当の強さ、尊さとは程遠い!?

世の中には理不尽に投獄されたり、歩道を歩いていただけなのにトラックが急に向かってきて即死したり、食事をしていただけなのに銃で撃たれたりと、信じられない不条理な状況で命を落とす人々が大勢います。

 

死なない人間もいる‥‥

 

ということならいざ知らず、すべからく人は最後死にゆく運命であることを思えば、多くの家族のサポート、見ず知らずの不特定多数の方々からの1日たりとも欠くことのなかった応援メッセージ、潤沢な資金の中で闘病生活を送ることのできた麻央さんは、若すぎたということ以外は大変に恵まれた環境で亡くなられたわけです。

 

ころもも大切な身内をわずかな期間で何人か失いました。経験がないからいい加減なことを言っているのでもなければ、悲しみや切なさがわからない人生とも程遠いです。

 

悲しむ量も時間も人それぞれ、悲しみからの立ち直り方も人の数だけ。

 

だから、であるからこそ、自分の悲しみや怒りや後悔、嘆きを、不特定多数の、ただでさえ自分たちの人生を生きることで大変な人々へ投げつけ、いつなんどきでもこの悲しみに同調せよ的な強制的な海老蔵さんや麻央さんのブログを賛美する記事には反発しか覚えません。

 

美談でシャットアウトされた本当のガン患者の声

 

これはガン当事者の方の言葉で、「はてな匿名ダイアリー」からの引用です。

 

小林麻央の話題が取り上げられて、癌患者の睡眠薬処方量が増えている、具体的な数字、統計をどなたか出してくれませんか。なぜ、こんなに自己顕示欲が強くて、頭の中がお花畑の人が、美談として祭り上げられるのか、理解に苦しむ。同病の人間からすると「やっぱりステージ4じゃ無理なのね」という、焦燥、諦め、落ち込み、動揺の感情しか植えつけなかった。結局、治療経過の詳細は明かさずに逝った。標準治療を拒んだから悪化したと言う。豪華個室、湯水のごとくお金を使った民間療法。一切の客観的詳細を排除した、ポエムなブログ。

はっきり言おう。小林麻央を祭り上げる人は、当人が癌じゃない。患者だったら、癌患者の家族だったら、こんな報道、ブログはやめてくれと思う。死が怖い。睡眠薬が無いと眠りにつけない。 

 

 この文章を読んだときに、ころもは自分が書いたのかと思いました。

 

それほどに、感情の隅から隅までが理解できるし、共感できる。本当の声というのはこれほどまでに人の心を揺さぶるものなのです。

 

他にも、この投稿を読んでまさに自分が発した言葉、感情そのものを代弁していると感じた方は大勢いらっしゃるのじゃないでしょうか。

 

ヤフコメの後半は、大半がこのような書き込みで埋め尽くされていました。麻央さんが座っていた椅子を「尊い椅子」といったり「偉大な嫁」と神格化するのは個人の自由ですが、それを人に強要するのはそれこそ重罪です。

 

みんなが知りたい本当の空白期間を頑なに隠し通し、自分たちが非難されることを恐れた人を「強い女性」とは言わないし「尊い」と神格化するのはいかがなものか。

 

本物の女神は「恋のから騒ぎ」に何の興味も関心も持たないと思うし、どんなに出演を要請されても断るでしょう。

 

わかりやすい明るさ、耳障りのいいポエムによって、再び新しい人格形成が麻央さんの意思とは無関係に作られていく様があまりにも気持ち悪いし、気味が悪い。

 

批判などしようものなら、あるいは海老蔵さんの苦しみに共感しなければ「非国民」だとでもいわんばかりの暴力的なブログ更新後の記事アップ。

 

その異常さに読者がこれほどまでに警告や悲鳴をあげているのに、未だ何の措置もされていない。聞こえないふりをする。

 

だけど、自分の一挙手一投足、嘆き、つぶやきの一言も聴き漏らすでないぞ!

 

といった風潮は恐怖でしかありません。

 

あの一番大切な部分が欠落したブログが英訳されたからといって、

「信じられないほど賢く、美しい」

というタイトルの記事が書かれるのは本当に信じられないこと。

 

信じられないほど賢い!?

本当に賢く美しく強い人というのは、自らがどう他人に見えるかではなく、犠牲を払ってでも助かる命があるなら、本当のことを伝えようとする勇気のある人のことをいうのじゃないでしょうか。

 

 

あのブログに本物の価値を加え、英訳する意義を持たせたいと本気で望むなら、何を飲み食いした、空模様にお土産やしてもらったことの列挙ではなく、なぜ自分は標準治療を拒否したのか。

そのときの決断の根拠、心境、それらを批判を恐ることなく誠実に打ち明けること以外にないように思います。

 

憶測がニュースになるのが嫌なら、なぜ憶測を生むのか。その憶測に対し、真実はこうでしたと言えないということが人からどう思われるのか。それは覚悟しなくてはいけないのだろうと思うわけです。

 

麻央さんはチャーミングな女性でしたが、何でもかんでも美談にするなら批判を免れないでしょう。それは故人にも酷なことです。

 

判断ミスは誰にもあること。そして、すべては終わってみなければ正しい決断だったかどうかなんてわからない。

 

自分たちはあの時にできる精一杯をした。何の後悔もないということならそれはそれで立派なこと、他人がとやかくいうことでもありません。

 

でも、心の傷と言ってみたり「あの時‥‥」と意味深な発言をする裏側にはやはりいくばくかの後悔があるのでしょう。

 

それが空白の1年8ヶ月をさすのか、民間療法に頼りすぎたことをさすのか、これも憶測にすぎないですが、癌患者として世界にこのブログが広まれば広まるほど、多くの疑念が、あの1年8ヶ月に注がれることは覚悟しておいたほうがいいように思います。

 

この記事が削除されませんように‥‥。

 

ころもでした。