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小林麻央の空白期間の治療が謎すぎ!? 1年8ヶ月何してたのか

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ころもです。

 

小林麻央さんが逝去されて初めての7月がやってきました。

返す返すも心残りは、「空白の1年8ヶ月」に何をしていたのか。どんな治療をしていたのか。

その一点が語られなかったこと。

鼻にチューブを差し込んだ姿、骨が浮き出るほどにやせ細った姿を自撮りするほどに赤裸々な闘病ブログを綴った麻央さんが、そこだけは頑なに語らなかったその理由は一体なんなのか。

時間が経過するほどに、その一点が浮き彫りになってきました。

 

命の三叉路で何を選択したのか

壮絶な痛みに耐えたのはすごいこと。先の見えない闘病生活にも明るさを忘れなかったのもすごいこと。

そういう意味では世間が褒め称える「強い女性」というのは当てはまっているのかもしれない。

でも、ころもが考える本当の強さというものはそんなわかりやすい強さじゃなく、今回のケースでいえば「誰もが知りたかった空白の1年8ヶ月」について語ってくれる強さでした。

 

後悔と反省がないまぜになって、批判を恐れて語らなかったのでしょうか。けれども、人は追い詰められたときの人の判断が完璧であろうとは思ってません。

 

麻央さんも好きだったという、

「生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある」(ネルソン・マンデラの名言)

ここまではっきりとした言い方ではなかったと思いますが、つまりは「重要なのは転んだ事実より、いかに起き上がったか」という言葉の意味は、ブログ読者からすれば、「重要なのはガンになったことじゃなく、そのガンにどう立ち向かったのか」であって、その「どう立ち向かったのか」の部分が残念ながらあまりに漠然として、ポエム的で感傷的でありすぎた感がありました。

 

肝心なところが全くわからないブログだったからです。

 

現在ガン闘病している患者さん、今、まさしくガン宣告を受けた患者さん、どの立場にいたとしても「なぜその道を選択したのか」という、動機、根拠については知りたいところでしょう。

命に直結する治療を、どういう判断で見送ったのか、あるいは選択したのか、とにかく知りたかったはず。

そこを最期まで語らなかった麻央さんにどんな心模様があったのか、みな手探りで考えるしか術がなくなってしまったのです。

 

残念でなりません。

 

空白の1年8ヶ月とはいつのことか

これは、2014年10/21〜2016年6/9までのことをさします。

つまり、乳がん告知され(この時点で脇にガンが転移した状態で発見される)た日から、市川海老蔵さんがガン公表した記者会見の日までのこと。

 

この空白期間について麻央さんも海老蔵さんも一切語ってくれませんでした。日に何度も更新しているのに、そこだけは語らなかった。

ヤフコメの中で多くの人々がその空白期間に何をしていたのか、どんな治療をしていたのか頼むから教えて頂きたいと懇願していたにもかかわらず、決して明かされることのなかったこの謎の期間。

 

今となっては残されたピースをつなぎ合わせて何とか推測するしかないという状況です。もったいないですね、寄り添いたいと前置きしていたはずなのに。

 

2014年10月21日にガン告知をされた時点では麻央さんの乳がんはリンパ節に転移はしていたというものの、まだステージ2の段階だったと推測されていて、5年生存率も95%以上という高いものだといわれています。

 

一般的な治療としてはこの場合、並行して抗がん剤治療やホルモン療法も必要ではあっても、手術をして切除をすれば充分寛解の可能性もあったといわれています。

 

当然、当時通っていた病院でも「早めに切るべき」という治療方針が示されたそうです。(参考:女性セブン7/13号)

 

しかし、麻央さんと海老蔵さんは「切らないで治す」方法を模索するということで、この病院の治療方針とは決裂してしまうのですね。

 

切らなかった理由と行った治療法が知りたい

これはもう推測の域を完全に出ません。出ないけれども理由はもちろんないわけがなく、そこを誰もが、ブログから、また行間から読み取ろうと必死なわけです。

 

単純に言えば、誰だって手術なんてしたくないです。ことに女性のシンボルともいえる乳房にメスを入れることを快諾なんてできるわけがない。

 

命に関わるのでなければ‥‥

 

です。

 

また関係者の話から推測するに、麻央さんはこの時点で2人の子がいたわけですが、自らが仲のよい姉妹なだけに、それぞれに妹や弟を‥‥、つまりは3人目の妊娠を望んでいたようなのです。

 

そうとなれば、排卵機能が停止したり、場合によってはその機能が戻らないこともある抗がん剤の投与などは避けたかったでしょう。

 

女性として乳房を失うことの怖さ寂しさ、母親としての妊娠願望。なるほど、それは簡単な決断ではないですね、確かに。

 

命に関わるのでなければ‥‥

 

それは迷うはずです。

 

そしてこれはお金持ちであるがゆえに難しかった問題として、選択肢が多すぎたということもいえるかもしれません。

その選択肢というのは、標準治療以外にもっと良い治療があるのじゃないかという考えですね。

 

7/13日号の女性セブンの記事によれば、

「世界中のガン治療の統計によって導き出された最も有効とされる治療のガイドラインでは、切除(手術)・薬物・放射線治療が『標準治療』の3本柱とされています。程度の差によって、これを組み合わせていくのが治療の基本です。ところが、ネットなどに膨大な医療情報があふれている現在では、この標準治療を”最低限の治療”と誤解している人も少なくない。お金さえ出せば、ゴッドハンドと呼ばれる医師の元を訪ねれば、別の”特別”な治療を受けられるのではと考え、いつまでも治療方針が定まらないケースもあるのです」(医療関係者)女性セブンより引用

 

というのです。

確かに、標準治療という言葉から「最高の治療法」という概念は残念ながら浮かび上がってきません。浮かび上がってこないどころか、おざなりな提案のようにも受け取れる響きさえあります。怖いことです。

 

お金があるのだから、お金のことは気にせずにもっともっともっとを追求したくなる気持ちがわからなくはありません。ただし、それは時間に限りがある場合には、諸刃の剣になってしまいますが‥‥。

 

とどのつまり、この空白期間に何をしていたのか。女性セブンの記事で、ある芸能関係者が明かしていたこの言葉にヒントがありそうです。

 

「麻央さんのガンが発覚した前後に海老蔵さんが知り合った人の中に、切らないでがんを治す自然治癒や免疫療法を提案する人がいたそうです。しばらくはその人の方針に従って、数百万円の治療費をかけたと聞いています」(女性セブンより引用)

 

これまで麻央さんは大病院を3つ変えています。治療方針の合致を求めてさまよっていたなら、その数もなんの不思議もありません。

 

三人目が欲しい、なるべく胸は切りたくない、切らないで治す方法を模索しているときに、当時医療界に吹き荒れていた風潮が影響を及ぼした可能性もあるのじゃないかと、女性セブンの記事は訴えます。

 

それは、110万部を超えるベストセラー『医者に殺されない47の心得』の影響力です。ころももこの本は2度読んでいます。

 

この本の中で語られているのは、がんには本物のがんとニセモノの「がんもどき」があり、もしそれが本物のガンであれば発見した時点で転移しているため手術しても効果がなく、もし「がんもどき」であったとしたら、転移しないので放置すればいいという内容です。

 

なるべく切りたくないと思っている人にしてみれば、この本は非常に心強く安心する部分もあります。

 

3人目を妊娠したいと願う麻央さんの心がそういった医療界の風潮を浴びていたのだとしたら?

 

そして、標準治療じゃなくお金がかかってもいいからもっとスペシャルな治療法を探し求めたいと思って時間がかかっていたのだとしたら?

 

たら?たら?ばかりになってしまいますが、そんなことをしている間に、あっという間に1年8ヶ月は過ぎてしまうものだろうなと、ころもはそう納得してしまったのでした。

 

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