毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

上戸彩の号泣はなぜ!?「昼顔」斎藤工と本気で熱愛か

 

 

 

ころもです。

 

上戸彩さん、激やせの次は「号泣」で話題ですね。

映画『昼顔』の舞台挨拶で上戸さんが見せた涙は、わかる人にはわかる、察することのできる涙、号泣場面でした。

 

どういうこと!?
なぜ、号泣したわけ!?

 

驚きますよね、抑えきれずに泣いたという言葉がぴったり、目頭が熱くとかのレベルじゃなくて、しっかり涙する。

なぜ?『昼顔』のたかが初日の舞台挨拶で何を泣くことがあるの!?

そう思うのが普通です。

 

本当に好きになったんでしょの声が多数

ドラマも映画も観ていないけれど、番宣を何度も観ているうちに「これは上戸彩、本気で好きになったかも」と思いました。

あの表情、女性にはわかるんですよ。

 

想像だけれど、実生活では得られない温もりや優しさ、ねぎらいに触れ合い、そういったもの全てが共演者である斎藤工さんにはあったのだろうし。

 

自身の私生活のなかでそれら一つでも欠けていたら、なおのこと虚像ではあってもその世界に未練、執着、羨望を持ってしまう。

上戸彩さん、勝手な想像ですがご結婚されてからあまり幸福そうに見えなかったし、実際、幸せ太りの逆の言葉「不幸せの激やせオーラ」を発散していたし、ドラマでの『昼顔』のストーリーを知ったとき、「よかったね、ドラマの中だけでも触れ合いがあって」と個人的に思ったりしたものでした。

 

マスコミや世間的には、

「背負うモノもたくさんありましたし、不倫というテーマに対して、毎日考えさせられた

という上戸さんの言葉をクローズアップしているけれど、ころもは実は違うところのほうが気になってます。

それは、

「泣きそうです。(斎藤が)本当に支えてくれたので。(演じた役の)紗和とお別れすることも寂しい

といった、この「紗和とお別れすることも寂しい」の部分。

 

紗和に未練があるということは‥‥

単純に考えて、未練があるというのは「好き」ということ。不倫をしている紗和の役と離れることが寂しいということは、斎藤工さんを愛している紗和のままでいたい、いたかったと解釈してもいいんじゃないでしょうか。

実際、ドラマを経てさらに今回の映画。

それこそ二人で過ごす時間はとても長かったでしょう。本来の夫婦が過ごす時間より、短期間ではあっても濃密でもあったはず。

ましてや相手は斎藤工さんです。

疑似体験としても、自分の感情が公私のどちらかなのか勘違いしてしまうのも仕方ない。

 

これはもう、理屈じゃないですね。

 

でも、実際に芸能界で親友だと言われていたベッキーの歴史に名を残す不倫劇、その際に自分が抱いた不倫とベッキーへ抱いた怒りの感情。

 

なのに、結婚し、不倫をする女性の気持ちがわかってしまったらこれ切ないです。役者として役柄である紗和に感情移入すればするほどに、「あれ、この感情、わかる‥」となってもなんら不思議じゃない。

 

仕事なんだからと割り切ればいいことだといっても、実際にご主人も子供もいる上戸さんにしてみれば、「不倫をしている自分」という感情に徐々になっていったかもしれないし、そういう背徳の感情に押し殺されそうになっているのを間近で見ている斎藤さんも感じたでしょう。

 

実生活と映画の世界を完全に切り離すのがプロよ、といっても、じゃあ、なぜに夫婦役をやる女優、俳優はクランクアップ後に熱愛が発覚し、そのまま結婚してしまうの?

なぜ、ペアのフィギュアスケーターたちは完全に仕事と割り切っているというのなら、なぜその後夫婦になるの?

 

人の感情なんてそう割り切れるものじゃないってことです。

 

それが、上戸彩さんの身にも起こったところもは思っています。

『昼顔』が大変な苦労の上に仕上がった作品だから、そこに斎藤さんからの労いの言葉があって号泣したというより、純粋に斎藤さんを愛する紗和でいることが心地よかった、幸せを感じていたのではないでしょうか。

だからこそ、その役柄を手放すことが寂しい。

 

そんな感情になり、また、同時に斎藤さんと公に逢うことができなくなることが哀しかったのだろうなと。

 

ころもの勝手な憶測でした。