毒舌ころも

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小林麻央ガン公表ブログの何が勇気!?ヤフコメに怒りの声続出

 

 

 

ころもです。

 

ここ数日の市川海老蔵さん、小林麻央さん、摩耶さんに関連するヤフーニュースの掲載数は、さすがに異常。

なんで?どうして?地球上で初めてガン患者を持った家族なの?

この世でたった一人のガン患者なわけ?

病気は本当にお気の毒です。明日は我が身であることも、心のどこかで多くの人が承知しながら、苦々しい、あるいは抑えきれない恐怖とともに記事を読んでいることでしょう。

 

なぜ日本中に同情を強要するのか

最近の小林麻央さんのブログに、

「更新できない日もありますが、1日1日の心と記録をここに残す気持ちで書いています。これからもどうぞよろしくお願い致します。」

という一文があることを、ヤフー記事にて知りました。

 

 

「皆さまとつながり、本当に励まされていました。いつも。」
  「私も、、、陰ながら、皆さまのコメントを拝読し、祈ったり、応援したり、共感したりさせて頂きました。届いてますか?? 」

との言葉も。

 

届いてますか??

 

「陰ながら皆さまのコメントを拝読し‥」というのは、応援メッセージ以外は排除、削除されている自身のブログコメントのみのことでしょうか。

 

老若男女、ファンじゃない一般人、それこそ、崇拝者じゃない本当にニュートラルな感覚の人々で占められているヤフコメでは、小林麻央さんは「これほど嫌われているガン患者を自分は知らない」といわせるほどの「嫌われ者」に成り下がっているのが偽らざる現実です。

 

末期ガンの孤独や恐怖は本人以外わかるものではないです。だから、自分自身のブログで何をどう書こうがそれは「全くの自由」です。

ただし、それがそこで「とどまっているならば」ということが大条件であることを、一体何度、そしてどれだけの人が訴えれば聞き入れてもらえるのでしょうか。

 

 

ヤフーニュースとどんな契約をしているのか

これまで何人もの芸能人がガンだけではなく、さまざまな病気を公表、また闘病をしてきても、これほどの頻度や露出で国民全員にくまなく周知させるような状態ではありませんでした。

 

自己愛、自己顕示欲。昨年の6月9日のガン公表からまさに1年が過ぎてわかったことは、自己愛というのは「美しく生きる」ことの真逆にあるものなんだなということ。

 

同じ病気の人の気持ちをサポートするどころか、逆撫でするだけのブログともいわれているのに、ガンを公表した事実だけで「勇気ある女性」「強い女性」と賞賛されることの不気味さ、滑稽さは、本当に病と真摯に向き合い、決して十分ではない環境、経済状況の中で闘病されている患者さん、その家族にとって口惜しく、腹立たしいものでしかないと思います。

 

ヤフコメは本当にさまざまな境遇、立場の方が投稿しており、ときに胸に刻まずにはいられないほどの心に刺さるコメントに出くわすことも多々あります。

 

その中のひとつを転載させて頂きます。

 

昔、逸見政孝さんがガンを公表した時に、知人がこぞって「勇気ある行動だ」と言っていたのを思い出しました。でも私は、勇気ではなく、むしろ病に対する怖さが、公表につながったのだと感じました。誰だって、不治の病になれば、怖いです。ただ、私たち一般人は、病を公表したところで、応援メッセージをもらえるわけではないです。不治の病にかかっても、身内だけで、場合により一人で戦わなければなりません。でも、ほとんどの人がそうなのです。芸能人が重病を公表することを過大に「勇気」と讃えるのは、一般人の感覚とはすごく乖離しているような気がします。多くの人からの同情を求めず、自分だけで重病に立ち向かっていくことが、むしろ本当の勇気ではないかと思います。(自分は、もしも将来ガンになったら、そうありたいと思っています)麻央さんのブログを批判しているわけではありません。ガンの公表に対する周囲の受け止め方に違和感を感じます。

 

お金を稼ぐ目的でブログをやっても、それも一つの生き方、選択ですから、それは小林麻央さんの自由ではあります。

 

非難、批判が日々増大し、どんどん嫌われアンチが増えていくのは、自分がどうしたいかだけは忖度されるべきものだと言わんばかりの、綺麗事で自慢としかとれないブログ内容に終始してしまっているからではないでしょうか。

 

ニュースに100%アップされることがわかっても(さすがに現段階で全く知らないとは想像できません)、限定にしてくださいという声を無視して、掲載されるがままにさせている。

 

どうにかできそうなものなのにそれをしない。

 

なぜか?

 

裏で何か取引があるのじゃないかと噂されても、これでは致し方ないのでは?

 

皇族じゃないんだからさ、容態とか国民皆さんにお知らせしなくて結構です。読まなきゃ良いっていう人いるけど、目に入るし、応援してても一喜一憂。それにご病気なのはこの方たちだけではないので、それぞれ皆さんの気持ちを乱さないように静かにしてて欲しい。

 

批判する人に「嫌なら読まなきゃいい」と決まりきった言葉が放たれますが、瞬間目に入った文字だけでも中身は推量できてしまうもの。

 

前代未聞のミサイル危機もあるこの日本で、みな心が疲弊しているのです。大変なこと、自分の痛みや辛さを自分の身内以外の人、それこそ全世界の人に発表し同情してもらおうなんて考えもしません。

 

ブログを書くのは自由なんです。

 

ブログを掲載することをやめさせることができるのに、しない。そのことの意味を皆が問うているのです。

 

しかし、1年経過した今現在もそのことは一切触れられることはないですね。読みたい人は読みにいけるのに、望まない人にまであれこれ伝えよう、聞かせよう、やせ衰えていく姿をこれでもかというほどに見せつける(必ずニュースにアップされることがさすがにわかっているのなら、載せたくても載せない決断をすることもできる)というのは、ある意味おそろしいことだなと思います。

 

ころもでした。