毒舌ころも

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小林麻央ブログのアンチヤフコメ批判に反撃か!?偏向報道が怖い

 

 

 

ころもです。

 

小林麻央さんが退院されました。

顎にガンが転移した報告の直後といっていいタイミングでの「退院」に、ほとんどの方が胸騒ぎを覚えたことでしょう。

ガンで友人、知人、身内を亡くし、死に至るまでの経緯、経過をつぶさに見た経験のあるころもにも、この退院が何を意味するのかはわかります。

 

 

最後まで話さないつもりなのかな

 

それにしても、今回の退院後の自宅での本人画像には多くの方が息を飲んだことと思います。

正直、健康なときのあの容貌からは見る影もない現在の闘病の姿をあそこまで赤裸々に無関係な人々に見せる必要があるのだろうかと怪訝な気持ちになるし、もっといえば、書けば必ずニュース記事として世界に配信されていることがわかっているのに画像を載せることへの暴力について誰も語らない(報道側が)ことに不気味さを通り越し、恐怖すら覚えます。

 

ガン末期、それこそ終末期を過ごしている麻央さんに「ガン患者が知りたい情報をもっと教えて下さい」と言ったところで、これほど大変な状態の麻央さんに何をいっているんだと総スカン、総攻撃を受けるのが関の山。

 

せっかく覚悟の上でのブログを開始してくれたのに、大変残念だなと思います。しかしこの流れでいけば、おそらくこのまま何も肝心なことは語らず、また語ってもらうお願いもできないまま、ブログは閉鎖してしまうことになるのでしょう。

 

そこまで持ち上げる意図は?

乳がん患者 小林麻央のブログに「どれだけ励まされるか」

女性セブン2017年6月15日号の記事がヤフーに掲載され、そのタイトルが上記のものでした。

 

なるほど、確かにいろいろな意味で励まされたという人、患者さんがいることは否定しません。むしろ一人としていないというほうが不思議です。

 

一方で、かなりの違和感を感じるタイトルとも感じます。正確には違和感を感じる記事内容ですが、同じぐらい、否、ヘタをするとそれ以上に「どれだけ傷つけられているか」という部分が必要では?

 

励まされた人がいるように、傷ついている人もいる。その両方があって正常、健全、正しい報道なのです。

実際、不都合なコメントは削除されてしまうというブログコメントではないヤフコメでは、ファンでも何でもない普通の読者たちが率直にアンチ表明しています。

 

その数は、一回の記事に対して寄せられるコメントのほぼ8割、あるいはそれ以上といっていいほどの量。これ、相当です。

 

なのに、その普通の感覚の人々を一切抹殺して「どれほど励まされているか」の部分だけを取り上げることは「うそつき」としか言いようがありません。

 

病気になったことは確かに気の毒です。またガンという病気は誰にとってもこれからは他人事じゃないことも事実です。

 

でも、だからこそ、誰もが受けることのできるわけではない高額治療、セレブ在宅医療、充実した医療体制に、潤沢な資金、存分に甘えられる人材の確保など、病気でなければこれほど甘やかされた状態も他になかなか考え付かないほどの恵まれた環境を知りたくないという人々だっているのです。

 

ブログで好き勝手かけるのだからそれで十分。知りたい人が知りたいときに、知りたい部分だけブログを訪ね、その記事を読めばいいだけのことです。

 

それをどのような意図、背景があるかわからないけれど、何でもかんでもニュースとして取り上げるヒステリーなまでの新聞各社。

 

どんな指示命令があればこんな個人的なブログが世界存亡の危機に瀕している現実の事件、事故、天災を超えて限られたニュース記事欄を埋め尽くすことになるのか。

 

まともな人なら、誰だって眉をしかめ、怒りが湧いてくるはず。

 

末期なのだから何をしてもいいだろう、もしそんな風に新聞各社が思っているのならそれこそとんでもない勘違い、新たな暴力です。

 

麻央さんの赤裸々すぎる画像開示、文面そのものは本来自由でいいのだけれど、それが100%(限定記事でさえ掲載されてしまっているが)何度も選択できない場面に登場する以上、非難、批判は覚悟をもって受け止められなければいけないはず。

 

批判する人、非難する人を「なぜ非難するの?」と批判する人がいるけれど、非難する人のほうが常識的だとさえいえます。

 

生きるよすがとなっているブログをやめる必要はありません。そのかけがえのない命綱のように楽しみにしているブログを、ニュースにあげるなという、それだけのことです。

 

批判している人は、その至極当たり前の「お願い」をしているだけのこと。それを批判というのは、あまりに暴力的、一方的であると、ころもは思うのです。